::成城今昔::

成城の町の「知る人ぞ知る」あれこれ情報。


2018/1/2 成城の大晦日と初詣

ご承知のように成城の台地にはお寺も神社もない。成城には大正末期までほとんど人は住んでいなかったので当然である。当時の成城は「砧村字喜多見大字上の台」だったのである。しかし喜多見は江戸時代になるまで江戸氏の領地で、

後に太田道灌により徳川家康に江戸を献上、北見姓を賜るのである。江戸家の菩提寺「慶元寺」、古刹「知行院」は大晦日23時半から除夜の鐘をつかせてくれる。また、知行院はお焚き上げにも参加できる。喜多見氷川神社は埼玉氷川神社に並ぶ有名な神社である。成城上の台は、喜多見の大百姓やお寺等の災害時の避難場所だったのである。逆に成城の街が出来てから、成城の住人は大晦日は喜多見のお寺で除夜の鐘をつき、元日は氷川神社に初詣に行ったのである。

いまでもその習慣は続いており、私も孫たちと除夜の鐘をつき、元日に氷川様で破魔矢を頂いて来たのである。

                                            中川 清史


11/3 木漏れ日の庭 3本のヒマラヤスギ

昭和10年頃の近代建築でもある旧M邸(現S邸)のお庭の一部のイングリッシュガーデンが解放され

「こもれびの庭市民緑地」になって居り、管理はトラストのボランティアがやって居る。

このお庭の西側に立派な3本のヒマラヤスギがあり、母屋の洋館をしっかり引き立てて居る。

早春には、ヒマラヤスギの足元を多くのクリスマスローズたちがいろどり、それは見事なものである。

早春のお散歩に、おすすめである。

成城三丁目のヒマラヤスギと「こもれびの庭」                 


11/1 成城のヒマラヤスギ

昭和初期、成城学園後援会地所部が人がほとんど住んで居ない台地の原野に

イギリスの田園都市構想にならって住宅地を造った時、和風のお宅にはアカマツを、

洋風のお宅にはヒマラヤスギを3本お願いしたという。

 青山の業者から仕入れたヒマラヤスギが200本。60軒のお宅に3本、最後が

学校の正面をまっすぐ西へ800m、国分寺崖線にぶつかったところのK邸のご主人が、

「よし分かった。残った20本は私が引き取る」といわれ、今でもこの辺りにヒマラヤスギが多い。

今でも3本そろって残って居るお宅が、3丁目の「こもれびの庭市民緑地」他何軒かある。

また、成城学園が斡旋した以外と思われるものも、9丁目の総合工科高校に数十本、

4丁目のみつ池開放緑地に20本、1丁目の東宝くろがねやに8本、実にヒマラヤスギが多い街である。


成城4丁目の雪つり

成城の冬の風物の一つに四丁目のお宅の門にある古木の「松の雪つり」があります。

 11月の中ごろになると植木屋さんが、手入れの行き届いた松に上り、一本一本縄を結んでいきます。

野川緑地広場のケヤキ並木

12~3年前、四丁目のビール会社のゴルフの練習場とテニスコートがマンションと野川緑地広場になりました。

その間の道に超高木のケヤキ並木ができました。

広場にも学童が植樹した落葉樹も立派に育ったが、並木のケヤキは本当に素晴らしい。

世田谷一のケヤキ並木ではないであろうか。今年もきれいに紅葉しております。

成城4丁目のヒマラヤスギ

終戦直後ヒマラヤスギいっぱいだった頃
終戦直後ヒマラヤスギいっぱいだった頃

 成城4丁目のヒマラヤスギ

 

 成城学園の正門から、まっすぐ西へ800mの突き当り、4丁目の交差点の先に立派なヒマラヤスギが何本もあります。昭和初期、成城学園が成城の街づくりを始めた時に植えられたヒマラヤスギです。和風建築の屋敷にはアカマツを、西洋館にはヒマラヤスギを3本以上植えるようにと、建築主に頼んだそうです。4丁目の交差点から神明の森みつ池にかけてヒマラヤスギが多いのは、成城学園が西洋館を建てた方々にお願いして、最後に20本ほど残った時に、この地に家を建てられていたK氏が「任せておけ」とすべての樹木を引き取って植えられたためです。

 

この他、今でも3本そろったヒマラヤスギが成城には何か所か残っています。その一つが市民緑地「こもれびの庭」に見られます。

 

                                                                                           (中川記